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【2017/11/24】
ゆきんこ@Japan,Sapporo
みなさんこんにちは!
記事はリアルタイムからは少しだけ遅れていますが、追いつけ追い越せで日々更新しておりますので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです(*^▽^*)
ゆきんこ、リアルタイムで今は札幌の実家におります。
数日前、タイのカフェでのほほんとアイスコーヒーを飲んでいたら電話が鳴った。誰からの電話かまったく見ずに思わず電話をとったら相手はお姉ちゃんだった。
珍しいな…
私は甥っ子の顔見たさに定期的に日本の家族に電話をするけど、家族から私に電話をかけてくることはほぼない。私の無事はこのブログで知っているし、なにかあってもLINEのメッセージで十分だ。
え、どうしたの?姉ちゃんからかけてくるなんて珍しいじゃん?なんかあったの?
いい知らせな気はまったくしなかった。こういう時はだいたい悪い知らせと決まっている。心がざわざわする。慌ててイヤホンをつけて聞く体制をとった。
予想は的中した。
おばあちゃんが亡くなったという知らせだった。
私は出先からすぐに帰国のフライトを取った。Wi-Fi環境のととのった国にいて、そしてせめて日本から近い国にいてよかった。親戚からは遠くにいるし無理しないでいいと言われたけど、おばあちゃんとの別れの場に立ち会うことに無理とか無理じゃないとか、そんなことはどうでもいい。
帰国したその足でそのままおばあちゃんの家に向かって手を合わせ、葬儀にも参列することができた。
おばあちゃんは90歳で人生の幕を閉じた。
会う度どんどん歳をとっていくおばあちゃんの姿を見て、当たり前だけどその度に時の流れを感じていた。おばあちゃんの生活の場が施設へ移って、私が海外に出るようになってからも帰国の度に会いに行った。
おばあちゃんは数年前から私のこともわからなくなってしまった。
おばあちゃん、ゆきだよ!わかる??
そう聞いても、
わからないね〜
と、言っていとこの名前を言ったりするようになっていた。おばあちゃんのままで、その姿のままでそう言うことをなんだか不思議な気持ちで見ていたのを覚えている。それでも誰かはわからないけど自分に会いに来てくれたであろう私たちが「もう帰るからね、また来るよ」と言うと泣き出してしまったおばあちゃんは、変わらず涙もろいおばあちゃんで、誰が誰だか混乱したりわからなくなったりしてきても、やっぱり寂しいのかなって思って胸が痛かったのを覚えてる。
私とおばあちゃんの思い出は?
と聞かれたら、私もおばあちゃんも同じエピソードを話すと思う。
私がまだ幼稚園の年長さんだった時、病気で入院する弟の付き添いでお母さんも入院生活をしていた時期がある。その時家事とまだ幼い私とお姉ちゃんのお世話をしてくれたのがおばあちゃんだった。
その間に幼稚園で親子遠足があった。みんな当然お母さんと手をつないでやってきた。私の横にはお母さんの代わりにおばあちゃんがいた。私はそれが嫌で嫌でしょーがなかった。きっとお母さんと行きたかったという気持ちと、自分だけがおばあちゃんと一緒っていうのが恥ずかしい気持ちと、みんながうらやましいっていう気持ちでいっぱいだったんだろうと思う。私は超絶不機嫌でまったく言うことを聞かず、おばあちゃんと手をつなぐことをせず、確かお弁当も食べなかったかぶん投げたかで、おばあちゃんがとっても大変だったという話。
そしてその後も私はおばあちゃんの作るいわゆる”おばあちゃん風弁当”が恥ずかしくて嫌だから幼稚園に行かないと言い出した。それ以来私の幼稚園のお弁当は当時マンションの上の階に住むママ世代のお母さんが代わりに作って持たせてくれるようになった。
私、子供ながらに超ワガママだな( ̄▽ ̄;)
お母さんにそばにいて欲しいストレスを丸ごとおばあちゃんにぶつけまくっていたみたいな時期だったんだと思う。
この時の話をおばあちゃんは大人になってからも笑いながら度々した。私もそんなことあったっけー?と言いながら笑ってごまかした。でも、子供ながらあれはまあまあおばあちゃんを傷つけた出来事だったんだなって、最近成長する甥っ子の言動に傷ついたりするようになって気づいた。おばあちゃん、あの時はごめんね笑
おばあちゃんは厳格で怖いおじいちゃんとは正反対に、細い目が見えなくなるぐらいいつもニコニコしていて優しく気さくで、私たち孫はみんなおばあちゃんにとっても懐いていた。人がよくて、騙されやすくて、涙もろくて、いつ会っても太ってて、料理上手で、手先が器用で、料理も上手で、そんなおばあちゃんが大好きだった。
今回、おばあちゃんの”死”から、いろいろな”死”について考えた。例えば親の死、兄弟の死、親戚、友達、もちろん自分も。幸いにも私はまだあまり多くの”死”と向き合ってきていない。でも自分が長生きするとしたら、これから多くの”死”を乗り越えなけれないけない。人生ってなかなかしんどいなって改めて思った。当たり前なんだけど。
おばあちゃんの死に対してはある意味心の準備ができていたというか、十分長生きだったと思うし、もう高齢だからそういう日が近いだろうことは予想せざるを得なかったから見送る心構えはできていたけど、そうじゃない死も当然あるわけで。
私は超ポジティブ思考で、あまりマイナスなこととか悪いことを想像することがなくいつもハッピーな側面しか考えて生きていないから、おばあちゃんの死をきっかけに、私にとってはこういう機会でもなければ考えないようなことを考えたよ。
人の死を乗り越えるって大変なことをこの先いつ経験するかわからない。大変だけど生きていく方は乗り越えてたくましく生きていかなきゃいけない。いつその時が誰にやってくるかもわからないし、みんなそれを繰り返して乗り越えて生きてる、生きていくんだなって。
そして“自分の人生の終わり”についても少し考えたよ。
ゆきちゃんがこういう風になったら(おばあちゃんみたいに死んだら)インドにいるのにどうするのー?大変じゃなーい?
と、8歳の無邪気な甥っ子がお通夜の後の食事会の席で言って、
私が、
大変だよ〜全員でインドに来ることになるからね!
って言って爆笑だった。
自分の人生の終わりなんて誰にもわからない。
だからこの先も、その時がきた時に“ああしておけばよかった”と思うことのないような生き方をしていたいなと思う。そして、できればすべての記憶があるままでその時を迎えたいな、と思った。
長生きをすることは自分にとってもそれを願うまわりの人たちにとっても素晴らしいことだと思う。誰もが選んで長生きができるわけじゃないし。でも、まわりにいる人のことも、自分の歩んできた道も、経験も、何もかも記憶からなくなってしまうのはなんだか寂しいなって思った。
まあ何をどう考えても願っても、なるようにしかならないけどね!人生なんて!
精一杯今を生きろ!!ってことだよね。
なんかいつになく色々考えたから、話まとまんないね。それもいつものことかな笑
おばあちゃんの遺影がいつものおばあちゃんそのものの満面の笑顔の写真だったから、それを見ながらおばあちゃんの人生はきっと幸せな人生だったんだろうって思った。もちろんいろんなことがあった90年だったんだろうけど、その笑顔を見てそう思った。
私もそんな風に笑っていよう。
みなさんも(^○^)
明日からまた通常記事に戻ります!それではまた!
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今日もありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
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